「祝詞(のりと)って、どんな風に読むのがいいのだろう?」
祝詞をあげる立場になって、まず考えた。
詩の朗読や、絵本や物語の読み聞かせなど、声を出して読むことは好きだったので、
「北原白秋の『落葉松』は、少し寂しげな感じがいいな」
「落語絵本『じゅげむ』は、落語家みたいにテンポよく明るく…」
など、その時々で、読むものと、聞く人のことを考えて読んできた。
祝詞は神様に向かって申し上げる感謝やお願いの言葉だから、
ーうやうやしく
でも参列者にも聞き取れないと困るから
ー滑舌よく・少し大きめな声で・ゆっくりと・抑揚をつけて…
そんなところだろうか。
もうひとつ、読むときに大事かな、と思っていたのは「平常心であること」
参列者に代わって感謝と願いを神様に申し上げる・仲を取り持つ立場であるから、妙に力んだり感情移入したりすると、通りが悪いような気がするのだ。
淡々と、はっきりと言葉を伝える
そんなことを心がけてきたのだけれど…
6月24日に行われた郡山市消防団・福島県消防協会郡山支部消防操法大会に、地元の消防団が出場するということで行われた必勝祈願祭。
わたしにとっては初めての必勝祈願祭で、もちろん祝詞を書くのも初めて。
一から書き起こしたわけではなく、先代の宮司が書いたものを参考にしながら、古式にのっとって、でもなるべく分かりやすく、願意が通るように考えて書く。
初めての言葉も多いので、何度も読み返した。
さて大会当日早朝、やや緊張した面持ちの選手達を始め、制服を着た消防団員が参列する中、厳かに必勝祈願祭が始まった。
ー祝詞奏上
読み始めは、いつも通りの感じだったのだが、後半頃になって、
ーなんかいつもと違う
と感じだした。声の調子も、高さも違うし、気が臍下丹田にちゃんと落ち着いていないで、胸から頭の方にあがってきている感じ…
下読みしているときは何でもなかったのだけれど、実際に消防団の方々が参列なさっている前で、「今日の大会のため力を尽くし技を極めてきた」選手達が
「心を合わせ、身にそなわれる力の限り、日頃鍛えたる技の極みを尽くし雄々しく直く正しく相競う」
ことを申し上げているうちに、気分が高揚してきてしまったらしい。
ともかくも、一所懸命に、心を込めて読みました。
もうひとつ、今回考えたこと。
「祝詞っていいなあ(この言い方、まずいかな)」
消防団の方達は、今日の大会目指して去年の11月頃からずっと練習してきた。
仕事をしながら、子育てしながら、消防活動をしながら。
その努力、気持ち・苦労を自分たちでは言葉にして考えたりはしないと思うけれど、祝詞は古くから伝わる美しい日本語でそれを言挙げする。
言葉に出して言う。
自分の中の一番尊い・美しい・良いもの。
それらを言葉に出すことで、改めてそれらを自分の中の誇るべきものとして受け取ることができる。
そんなことを感じた今日の必勝祈願祭
地域の内外に災厄が起こらないよう夜となく昼となく見守ってくださる消防団員の皆さんに改めて感謝する機会ともなりました。
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