初めて勤めた小さな事務所は、古くからの商店が建ち並ぶ、今は静かな町並みにあった。
高崎市本町3丁目
通りをへだてたお向かいのご主人は、山田泰一さんという博識な方で、よく私にこの町内の昔の話をしてくれた。
ー空襲を知らせたツバメの話、お正月の松小屋の話、町内の山車の話、子ども等の遊びなどなど…
事務所の下が山車ばやしの練習場になっていたので、私も篠笛を習い始めて、8月の高崎祭りでは山車にも乗せてもらい、いつしかすっかり3丁目の住人になった。
「今は赤い提灯に電球を入れているが、昔は普通の提灯にろうそくを灯していたんだ。
自分の町内の山車が出ない年は、くやしくてよその山車の提灯をパチンコでねらったもんだ。
ちょうど今の東校のあたりがこんもりとした木立でな、ズボンのポケット一杯に小石を詰めて…」
練習の合間、山車囃子のお師匠さん達は、休憩になるとタバコをふかしながら、自分が子どもの頃のお祭の話をあれこれ聞かせてくれた。
折々に書きとめておいたお話の数々。
長いこと勤めた本町にもここのところご無沙汰だけれど、いつか本町の子ども達にも聞かせてあげたいなあ。
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