言っておくけれど、西田町は昔話の宝庫である。
別にそんなに鼻息を荒くしなくてもいいのだけれど、しかしだれもそのことに気づいていない、もしくはなんとも思っていないようなのだ。
郡山市には、湖南町という豊かな昔話をもつ地域があり、湖南の人達はそれらを大切に語り伝えて、子供たちに伝え、子供たちもまた誇りを持って自分の故郷の昔話を語り継いでいる。
けれど、西田町もまたたくさんの昔話を持つ地域であるのに、それらが語られるのを聞いたこともなければ、子供たちも触れる機会がほとんどない。
なんとももったいないというか、今伝えなければ絶えてしまうだろうと思うのだ。
ところで、宮司の母、今年83歳になる典ちゃんは、実に西田町の生き字引みたいな人である。
小さい時分から見聞きしたことを、とてもよく覚えていて私に話してくれる。
ー舘の呼ばり石の話、郷社のむかし、四季折々のしきたりや行事、当時の子どもの遊び、などなどー
いそがしい日常の中、はじめはただそれを楽しく聞いているだけだったけれど、やはり書きとめておきたいと思うようになった。
そして、町内のあちこちにある小さな神社で、祭りの後に語られる昔語りというものがある。
それらの神社では、今でも囲炉裏を囲んで直会(なおらいー祭の後にお供え物などをいただくことー)をする所がいくつもある。
ちょっとのぞいてみると、こんな感じ。
ー 通りに車をとめて、やっと人が一人通れるほどの細い山道を登っていく。今日は祭。下草も刈られ、落ち葉もきれいに掃き清められている。小さいが由緒のあるご社殿では、さっき豊年を感謝する秋祭りが終わったところ。中では参列者と神職が囲炉裏を囲んで、楽しげに語り合っている ー
囲炉裏には炭火が真っ赤に熾っており、鉄鍋からは湯気が立ち上って、ぐつぐつとおいしそうな音がしている。
煮えているのは、さっきのお祭で神様にお供えした野菜や魚など。
味つけは神社によって味噌だったり醤油だったり。仕上げに卵を入れるところ・お代わりにうどんを入れるところ・それはそれはおいしくて、どうしたってお代わりをせずにはいられない。
そこで語られる昔語り
ー 自分が小さい頃の祭のこと、父祖から伝わる昔の祭、地域に起こった忘れられない出来事、今はもう絶えてしまった行事や催しなどなど ー
話は尽きない。
後数年を経ずして消えてしまいそうなこれらの、地域に住む私たちにとってこそ大切な昔話の数々を、なんとか残す方法はないものか…
ありがたいことに今の時代、ウェブサイトやブログなど、書いたものを発表するツールはいくらでもある-
というわけで、このたび鹿島大神宮のウェブサイト開設にともない、「西田町の昔話」のカテゴリを無理矢理押し込んだ。
今までちょっとずつ書きためてきた昔話を、そして郡山市教育委員会の許可をいただいて、教育委員会編纂の
『郡山のむかしばなし』『郡山の伝え語り』『郡山のことばとくらし』
から、西田町のお話をピックアップして載せることにした。
一気に載せたので、一時は「いったい何のウェブサイトなの?」というような有様で、新着記事は、しばらくずっと昔話ばかりだった。
在庫を放出しちゃったから今は落ち着いたけれど、これからも、昔話を順次載せていくつもり。
ぜひ鹿島大神宮のウェブサイトもご覧ください。
これらたくさんのお話を、ぜひ西田町の子ども達に読んでもらいたい。
そして今自分たちが住んでいるこの土地に、父母や祖父母や、ずっと前のご先祖様もまた、豊かに生き生きと暮らしていたのだ、と言うことを感じてもらいたいと思っている。
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