「ーその下駄の音は、カラン・コロン・カラン・コロン って、石段を登ってきてね、うちの玄関の前でぴたりと止まったんだ。家族は囲炉裏端でじっと耳をかたむけていた。ところが…」
幼い頃、父が話してくれる昔話が大好きだった。
いたずら好きの五人兄弟の末っ子、人望のある穏やかな父と、神主の娘であった母の元で伸び伸びと少年時代を過ごした父。そのふるさとは、今は三春ダムの下に沈んでいる。
「…だれも入ってこないんだ。石段を上がったところにあるのはうちだけだし、もっと上れば神社があるだけだ。夜のそんな時間に神社に上る人もない。不思議に思っていると、家の仏壇の鐘がチーンと鳴って…」
父の語る話は、おとぎ話でも作り話でもない、今目の前にいる父や、その父母の身に実際に起こった話ばかりだった。
自分の死をつげに来た親戚の話、狐に化かされそうになった祖父母の話、化かされてしまった村人の話、近所に出ると評判の狐火をさがし歩いた話、山道で狢に道案内された話、いたずら好きの五人兄弟の話、お米を無駄にした夜に見た怖い夢の話、などなど。
話とちゅうで思い出し笑いがとまらくなる父と一緒に笑い転げながら、子供たちはなんども同じ話をせがんだものだ。
父の話は、ほんのちょっと前まで日本には昔話の世界が生き生きと息づいていたのだ、ということを私たちに教えてくれた。いつしか私はその世界にあこがれて、手を伸ばせばとどきそうなその場所へ自分も身を置きたいと、ずっと思い続けていた。
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